挙げ句の果て

いざ、恥じめやも。

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一ヶ月ほど前、いぼ痔が数年ぶりに再発したので、近所の薬局へ痔の薬を探しに行きました。

そこは、マツキヨやセイジョーの様な大手薬局ではなく、コンビニと併設して片手間で薬局をしているお店だったので品揃えがあまり良くありませんでした。私は、唯一自分が知っている痔の薬「ボラギノール」を探していましたが、一向に見つからなかったので諦めて違う薬局に行こうとしました。しかしその時、私はメンソレータムの横でひっそりと隠れる様に陳列されている痔の薬「オシリア」を発見したのでした。

小林製薬に確認した訳ではありませんが、ほぼ間違いなく「お尻の穴」が名前の由来である事は明白であり、この事は、オシリアの穴兄弟商品である「ハナノア」なる商品が出されている事から見ても、言い逃れは出来ません。

アナルに直接塗布するという商品特性があるとはいえ、小林製薬担当者に「アナル」や「穴」といった直接的な言葉を使ってネーミングする度量があるはずもありません。彼等に出来る事と言えば、佐川前理財局長よろしく、「アナル」や「穴」といった言葉は全てこちら側の忖度として連想させる様なネーミングをする事くらいです。

こういった造語のやり方は、「Nigger」を「N Word」と言ったり、「Fuck」を「F Word」と言う事によって、「俺らは言ってないかんね。お前らがどう受け止めようと勝手だかんね。」という欧米人のそれに酷似しています。

私は「オシリア」を手に取ると、まるでTSUTAYAでアダルトビデオを借りた時にPIXARやジブリも一緒に借りて誤魔化しにかかるがごとく、清涼飲料水とスナック菓子を数点手に取り、レジへと向かいました。

レジ係が中国人らしき女性である事に妙な安堵感を覚えつつ商品を差し出すと、彼女は手際良くバーコードを読み取りながらオシリアを指差し、「こちら袋お分けしますか?」と言いました。

「一緒で大丈夫です。」

消え入るような声でそう答えながら、私は中国人店員に密かな安堵感を覚えた自分を愚かしく思いました。

その日の夜。
入浴後にオシリアを適量右手人差し指に取り、第一関節の半分くらいまでをアナルに突っ込み、痔の根元までしっかりと塗り込みました。痔は思っていたよりも大きく、私は長期戦を覚悟しました。

しかし、結果的にはそんな私の覚悟も杞憂に終わりました。なぜなら、オシリアの効果は絶大であり、痔は塗布3日目にしてアナルに何の違和感も感じないほど小さくなり、1週間後には綺麗さっぱり無くなっていたのでした。

私はオシリアのネーミングを馬鹿にしていた自分を深く反省し、「次から薬を買う時は小林製薬一択」と、思い改めました。むしろ今になって思えば、「オシリア」という響き自体はギリシャ神話の神々のそれのようであり、「慈悲と調和の神 オシリア」と言われても何の違和感も感じないくらいに高貴で神聖な響きを湛えてさえいるのです。

「オシリアは絶対に過小評価されている」

そう感じた私は、Amazonで痔の薬の売れ筋ランキングを確認したところ、これも私の認識不足で、しっかりと堂々2位にランクインしていました。

皆さんもお尻の調子がおかしい時には、ぜひオシリアを試して見る事をお勧め致します。

以下、参考までに。

【痔について】

◆現代仮名遣いでは「ぢ」ではなく「じ」が正しい。
→大手製薬会社「ヒサヤ大黒堂」の痔の薬が「ぢ」という表記をしていた事から、「痔=ぢ」という認識が広まった。

◆痔の手術には下記の様な「体位」が存在する。

恥骨としては、ジャックナイフ位(後背位)をお勧めしておこう。

◆大便は全部出し切ろうとしない。長くて3分程度を心がけるべし。
→便意を感じてトイレに行った場合、大抵は最初の息みでほとんどの便が排泄される。残ったわずかな便を出そうとトイレに長居すると、肛門に負担をかけ痔の原因となるので、要注意だ。

◆香辛料・アルコールは痔を悪化させるので、なるべく控えるべし。
→中本大好き恥骨ちゃんも、いぼ痔を経験して以来、中本には友達に誘われた時以外は行かないよう、心がけているぞ。DH000100

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財布
ケータイ

定期券

メガネ
ジャケット
ベルト
iPod
MacBook
パスポートetc…

これらは、私がこれまでに失くした事のある物のごく一部です。
正確に言えば、「失くした物」と「盗まれた物」のごく一部です。
もっと正確に言えば、「失くした物」と「盗まれた物」と「失くしたのか盗まれたのかわからない物」のごく一部です。
これから私がする話は、「失くしたのか盗まれたのか断定は出来ないが、まず間違いなく盗まれたであろう物」の話となります。

2008年。池袋。
私は中高時代の友人数名と居酒屋で飲んでいました。男だけしかいなかったので2軒目に行こうともならず、そろそろ帰ろうかと話をしていると、若い女性2名が入店して来て、入り口付近の席に座りました。それを見ていた友人の1人が、「ジャンケンで負けた奴が自分のケータイ番号を渡しに行こう」と言い、卓上のナプキンの上にカバンから取り出したペンを置きました。

当時、ナンパなどした事がなかった私は、正直負けたら嫌だなあと思いながらも止むを得ずジャンケンをしましたが、案の定負けてしまい、私がケータイ番号を渡す事になりました。

友人達が会計を済ませている中、私だけ2人のいる席の前に立ち、恐る恐る自分のケータイ番号を書いたナプキンをテーブルの上に差し出しました。近くで見ると思ったよりもかなり強めのギャルであった2人は一旦会話を中断し、見るからに不愉快そうな表情でこちらを一瞥しましたが、特に何も言わず、ナプキンに触れる事もなく、すぐにまた会話を再開しました。

一週間後。
私は自宅の近所にあるモスバーガーで米国留学のための勉強をしていました。すると、急に知らない番号から電話が掛かってきました。
電話に出ると、やはり知らない女性だったのですが、「今新宿で飲んでるから今すぐに来い」と言われました。
私は、「多分電話を掛ける相手を間違っていますよ」と伝えました。
しかし向こうは、「はあ?間違ってねえよ。イチカワだろ?」と私の名前を言い当てました。

私はその時やっと相手が先週のギャルである事に気づき一瞬うろたえましたが、一方で「実は初ナンパが成功していたのでは」という妙な高揚感を覚え、相手に言われるがまま、すぐに新宿へ行く事にしました。とは言え、1人で行く度胸はさすがに無いので、先週一緒に飲んでいたアソウ君に事情を説明して、一緒に新宿に来てもらう事にしました。

アソウ君と新宿駅前で合流し、相手の指定してきたカラオケ店へ向かいました。緊張しながら部屋に入ると、確かに先週のギャルが2人そこに居ました。私に連絡をして来たと思しきリーダー格のギャルは私を見るなり、「マジで来たんだけど、ちょーウケる」と両手を叩いて笑いました。

女性とのコミュニケーションが不得手な私にとっては、この手のギャルとの絡みは特に苦手とする所であり、それが分かっていながら何故ここへ来てしまったのかと、私は少し後悔していました。しかし一方で、アソウ君の方はというと、昔からビジュアル系ロックバンドが好きで、その手のギャルへの対応にも慣れているらしく、困り果てている私を尻目に1人でギャル2人を相手にスムーズな軽口を交わしつつ、すぐに打ち解けて行きました。

最初は4人で普通にカラオケを歌っていましたが、1時間ほど経った所でリーダー格のギャルが急にテキーラのボトルを注文し、「カラオケは飽きたから、これが無くなるまでゲームしよう」と言いました。

ゲームの内容は、山手線ゲームをはじめとするいわゆる「飲みゲー」でしたが、そのギャル2人は我々が初めて聞くようなゲームもかなり知っていたため、ゲームで負けるのは大抵私とアソウ君であり、我々は物凄いスピードでテキーラショットを飲み続けました。その結果、私よりも酒に弱いアソウ君はすぐに酔い潰れてしまったので、仕方なく先にタクシーで家へ帰す事にしました。

今思えば、私もその時点でアソウ君と一緒に帰れば良かったのですが、私もかなり泥酔していた事もあって図らずもギャルとの飲みゲーを楽しみ始めていたので、私は1人部屋へ戻りました。

その後の展開は言わずもがな、圧倒的なゲーム巧者であるギャル2人による集中砲火を浴びた私はほぼ全てのゲームに負け続け、私の意識はすぐに忘却の彼方へと消え去って行きました。

数時間後。
私は薄暗い部屋の中で、うつ伏せの状態で目を覚ましました。そしてすぐに、私の目の前に「寝ゲロ」が広がっている事と、自分は今漫画喫茶のフラット席の中にいる事を認識しました。そしてとりあえず、部屋にあったティッシュでゲロを拭きながら(隠蔽しながら)、この漫喫にどうやって来たのか思い出そうとしましたが、当然何も覚えてはいませんでした。

そしてふと、嫌な予感がして慌ててポケットの中身を確認すると、財布もケータイもiPodも、全て失くなっている事に気付きました。

「どうやって帰ろうか。。」

ケータイで誰かに助けを求める事も出来ない状況で、私が思いついた唯一の方法は、「非常階段から逃げる」というものでした。私は息を殺しながら部屋を出ると、非常階段を探して歩き回りました。そしてすぐに非常口らしき扉を発見しましたが、それは受付のすぐ横にあり、その受付には店員が1人立っていました。

私は平静を装いながら受付へと歩いて行き、その店員に、「ちょっとケータイで電話したいので、外で電話しても良いですか?」と言って非常階段を指差すと、店員はそれを何も怪しむ事なくOKしました。私はゆっくりと非常口から外へ出て、扉が閉まった事を確認すると、一目散に階段を駆け下りました。

それまで万引きもした事がなかった優等生の私にとって、このようなワルを働くことは初めてであったので、異常なアドレナリンが湧き出てくるのを感じながら階段を駆け下り、その雑居ビルから飛び出しました。

外は、すでにうっすらと明るくなりつつありました。一銭も持っていない私は始発で帰る事も出来ないので、明治通り沿いを歩いて帰る事にしました。歩きながら、私の心に浮かんだのは、財布やケータイを盗んだ(であろう)ギャル2人への怒りよりも、ついさっき自分が働いた「初めてのワル」に対するある種の充足感でした。

二日酔いの頭痛すらもなんだか愉快に感じる、春のあけぼの。

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東京生まれJR育ちの私にとって、車は生活する上で必要なものではありません。

ですから、私は当然「ペーパードライバー」にカテゴライズされる訳ですが、ただ普段車に乗っていないだけなのに「陸サーファー」のように揶揄されている感じがして、あまり気持ちのいい言葉ではありません。しかし、こう呼ばれてしまうのは、うかつにも私が免許を取ってしまった事に原因があります。では、なぜ免許を取ったのでしょうか?

今考えてみても、免許を取得した理由は「友達に誘われてなんとなく取った」という事以外は思い浮かびませんし、それが事実なのだと思います。しかし、免許を取得するには自動車学校への通いで約30万円、合宿でも約20万円という費用がかかる事を考えれば、本来運転免許証というものは、特に理由もなく「なんとなく」取得すべきものでは無いはずです。

では、実際免許を取って良かったか?と言われれば、残念ながら答えは「イエス」になります。これは、車に乗れるようになったからではなく、「身分証」として運転免許証が万能であるからです。日本で生活する上で事あるごとに必要になる「顔写真付き身分証」ですが、これは実質、「運転免許証」と「パスポート」の二つしか存在せず、そのどちらも「身分を証明する事」が第一義的な役割ではありません。運転免許証は車の運転を許可するものであり、パスポートは外国へ渡航する際の旅券です。つまり「身分を証明するためだけに存在する顔写真付き身分証」というものが、この国には存在しないのです。

とすると、私は免許を「なんとなく」取得したと上述しましたが、これは日本の身分証事情から考えるとごく自然な感覚であり、「免許は取っておくべきもの」という考えが社会の一般通念となっているのです。それにしても、たかが身分証に20〜30万円もの大金をつぎ込む事を「当たり前」と思わせてしまうなんて、日本の自動車産業界と政府のふしだらな関係に思いを馳せざるを得ません。

前置きが長くなりましたが、私が免許を取得した時の思い出話をしようと思います。

今から十数年前。当時大学1年生の私はクラスの友達に誘われ、夏休みを利用して新潟県へ免許合宿へ行きました。一緒に行ったカワサキ君とは入学当初からウマが合い、オートマかマニュアルかを選ぶ際にも、「オートマ=女、男=マニュアル」という前近代的な意見で一致したため、割高なマニュアル免許のコースを一緒に受講することになりました。

合宿初日。
新潟県長岡市の教習所に到着した我々は、入校説明や身体検査・簡単な座学を終えると、その日のうちに「生まれて初めて」車を運転する技能教習を迎えました。私の担当教官は、タカハシ教官という坊主頭にメガネをかけている優しそうなおじさんでした。車に乗り、初めて自分で車を発進させた瞬間は素直に感動しましたが、それでも、クラッチ・アクセル・ギアをタイミング良く操作するというマルチタスクが、私にとってはとても難しく、この先大丈夫であろうかと不安になりました。しかし、カワサキ君も「予想以上に難しかった」という感想を口にしていたので、自分だけではないと少し安心しました。

翌日。
私は座学を終えた後、2回目の技能教習を受けたのですが、昨日はとても優しかったタカハシ教官の声色が明らかに変化していました。少しでも手順を間違えると厳しい口調で注意されるので、私はそれにビビって更にミスを重ねてしまうという悪循環に陥って行きました。

3日目以降もタカハシ教官の指導は日に日にその厳しさを増し、些細なミスでも私を罵倒し、怒鳴りつけるようになりました。技能教習は、基本的に毎回同じ教官が担当するので私はその都度憂鬱な気持ちになっていましたが、稀に別の教官が担当する場合があり、その時などは無神論者の私ですら神に感謝を禁じ得ないような、そんな心持ちになったものでした。

数日後、いつものように13階段を登る心境で教習車へ向かうと、その日は別の教官が担当であったため、心の中で十字を2億回ほど切りながら教習へと臨みました。特に何の問題もなく教習が終わり車から降りると、数台先の教習車から、カワサキ君とタカハシ教官が一緒に降りてくるのが見えました。2人は車の前で何やら談笑しているようで、タカハシ教官は優しい笑みを湛えていました。

宿舎への帰りのバスの中で、「タカハシ教官との教習はどうだったか」とカワサキ君に聞いたところ、彼は「とても優しい教官だった」と答えました。私はそこで初めて、実はタカハシ教官から普段とんでもなく厳しい指導を受けている事をカワサキ君に打ち明けると、彼はとてもビックリすると同時に楽しそうに笑っていました。私はカワサキ君に、「考えられる選択肢は2つ。私が異常に運転がヘタクソであるか、あるいは、私の何かが異常に教官の鼻につくのか、どちらであると思うか?」と聞くと、彼は嬉しそうに「両方だろう」と答えました。

翌日。技能教習開始。担当は平常通りタカハシ教官。

恥骨:(ギアチェンジをする際に、前方を見ずにギアに視線を落としてしまう、というミスをして)「すみません。。」
タカハシ教官:「おい、お前何度言ったらわかんだよ。お前の友達はちゃんとやってんのに。はいもう一回。」
恥骨:「すみません。。。あっ。。」(テンパって、再度ギアに視線を落としてしまう)
タカハシ教官:「お前よお、そんなにギア見たかったら、ずっと見てろ!!!」

タカハシ教官は私の首根っこを掴むと、そのままギアのノブに私の頭をグリグリと押し付けました。

その日の夜。
私とカワサキ君は、同時期に教習所に入校した他の生徒達と一緒に、日本三大花火大会の一つである「長岡まつり」へ行きました。

「〈入院中のお母さんへ。早く元気になって退院して、またお弁当作ってね。〉xxちゃん、5才からのメッセージです。尺玉、尺玉でございま〜す!」

アナウンサーの女性がメッセージを読み上げると、花火が勢い良く打ち上がりました。
私は花火を見ながら、「明日教習所に行ったら、マニュアルコースからオートマコースに変更を申し入れようと思う」とカワサキ君に話すと、彼は嬉しそうに「じゃあお前延泊決定だな」と言いました。(カワサキ君には既に今日あった事を話しており、その時彼から「オートマに変えれば教官もチェンジされるだろう」というアドバイスを貰っていたのでした。)

「明日からあのパワハラ上等の鬼軍曹スタイルから解放される」

私は、久しぶりに晴れやかな気分で、目の前に広がる美しい花火を眺めました。

翌日。
私は朝一で教習所の受付に行き、オートマコースへの変更を申し入れると、2日間の延泊となるが、今日から早速コースの変更が可能であると告げられました。私は心底ホッとし、新たに貰ったカリキュラム表を持って、技能教習へと向かいました。

教習場へ出て、指定の教習車の前で待っていると、後ろから聞き覚えのある声で、

タカハシ教官:「おい、お前オートマだからってナメてんなよ。」

恥骨:「本日も、よろしくお願いします。」

2005年、夏の出来事でした。

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