挙げ句の果て

いざ、恥じめやも。

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適者生存。弱肉強食。ダーウィンの進化論を信じるなら、地球上の全ての生物は、熾烈な生存競争を勝ち抜くためにその爪先から体毛一本に至るまでを周囲の環境に適応させる形で淀みなく進化させて来た。ある者はより大きく、ある者はより速く、ある者は捕食者の目を欺く事で、種の繁栄を果たして来た。そんな中人類は、こうした身体的な進化競争によって他の種を出し抜く事には活路を見出さず、その代わり「脳」という特定の器官を進化させる事に、つまり圧倒的な「知能」を有する事に活路を見出し、遂には地球全土を制圧するに至った。
さて、脳の進化によって発達したのは、いわゆるIQテスト等によって測られる「知能」の他に何かあるだろうか、と考えてみると、例えば「感情」のような脳由来の産物もまた、何かしらの進化を遂げたのだろうか?という疑問が自然に湧いて出てくる。
この疑問に対し、ググって答えをだすことは出来るが、本稿の趣旨は事実を調べて二番煎じの文章を書き立てる事にあらず。あくまで自分の「脳」を使って考えた結果出てきた推察を述べる事が我が本懐であり、その推察が事実と異なっていようがいまいが、どちらでも宜しい。
まず最初に「進化」と言う言葉の定義に関して、これは上述したように「生存競争を勝ち抜くために、周囲の環境に適応する事」で、概ね間違ってはいないと思う。とすると、感情においても、進化を促す要因として「周囲の環境」が大きな役割を担っているようだ。
今、ボノボと人間の感情を比較して、ボノボよりも人間の感情の方が進化していると仮定する。(生存競争での勝ち負けという観点で考えれば、人間がボノボを圧倒している事に異論は無いはずだ。)ボノボが生活するのは森の中であり、そこに文明は無い。他方、人間は高度に発達した文明を基盤にした村・町・都市に生活する。ボノボが50-120頭程度の群の中でその一生を過ごすのに対して、人間は個人差こそあれ、一生のうちに数千/数万人と関わりを持つ。このように、ボノボと人間とでは「生活の複雑度合い」が全く違うようなので、当然我々の感情の方がボノボよりもかなり複雑であろう事は、容易に想像がつく。
例えば、エレベーターの中で放屁してしまった時の「気まずさ」という感情が、ボノボに存在するだろうか。例えば、ウンコを漏らしてしまった話をして笑いをとった時に感じる満足感を、ボノボも感じ得るだろうか。そもそも、ボノボにユーモアの感覚があるだろうか。私見を言わせてもらえば、ボノボがこのような「気まずさ」を感じる事も無いし、ユーモアの感覚も持っていないと思う。百歩譲って気まずさやユーモアの感覚を持っていたとしても、我々のそれとは全く種類の異なるものだろう。
人間が「気まずい」と感じるのはなぜか?これは、社会の暗黙のルール・エチケットから逸脱してしまった時に、周囲からその逸脱を咎めるようなある種のプレッシャーを感じるからではないだろうか。ボノボの社会にもいくつかのルールはあるだろうから、なるほどボノボもそれから逸脱した行動をとってしまった時に気まずさを感じる可能性はあるが、人間社会におけるルールの方が圧倒的に複雑多岐であるから、その「気まずさ」の種類が膨大に存在する。しかも、人間の場合、自分ではなくて他人がルール・エチケットを逸脱してるのを眼の当たりにした場合においても、それをさも自分の事のように気まずく感じるという「共感性」まで持ち合わせているから、もう「気まずさ」という一つの言葉が表す感情の複雑さは筆舌に尽くし難いものがある。例えば、上司のカツラがズレている事に気づいた時の気まずさ、電車で自分の目の前に立っている人のチャックが開いてる時の気まずさ、便所の前でウンコを漏らしてしまった人を目撃した時の気まずさ、コンビニで自分の前に会計した人がお金が足りなくて商品をいくつか返品していた時の気まずさ、etc...数え上げればきりが無いが、とにかく、「気まずさ」という感情の1カテゴリだけをとってみても、人間はその圧倒的に複雑な生活環境に呼応する形で、「気まずさのレパートリー」を際限なく増やして来たであろう事が了解出来る。そして、この「気まずさのレパートリー」が多ければ多いほど、その社会はルールやエチケットが守られた社会であるという事であり、逆に言えば、息苦しさを感じる社会、あるいは「日本的社会」と言えるのかもしれない。
例えば、コロナ禍における日本人のマスク着用率は、驚異的を通り越してほとんど狂信的であるとすら思われる。別に各国のマスク着用率をググってデータを見た訳ではないが、近所(品川近辺)を歩いていても、マスクをしていない人間がほとんどいない。感覚的には、90%どころではなく、98,9%くらいの人間がマスクを着用しているのではないだろうかと思われる。しかも、この8月の東京のクソ蒸し暑い気候にも関わらず、である。海外には、マスクをしていないと罰金などの処罰が課される国がいくつかあるようだが、日本にはマスク不着用に対する罰則は何もない。にも関わらず、ほとんどの人間がマスクをしている。そして、このマスクをしている人間のほとんどが、「こんな道端を歩くときにマスクをしている意味など有りはしない」という事に気づいている。休日の渋谷のスクランブル交差点を歩く時ならまだしも、普通の街頭を歩くだけなら歩行者間のソーシャルディスタンスは確保されているし、コロナはほとんど空気感染ではなく飛沫感染である事を鑑みれば、道を歩いている時にマスクを着用する意味などほぼ無いに等しい。もしくしゃみが出そうになっても、口を抑えて下を向けば宜しい。ではなぜ皆マスクをしているか?それは、単純に他人の目線を気にしている、つまり、マスク不着用の「気まずさ」に耐え兼ね、同調圧力に屈しているだけの話である。本気でコロナ予防の精神からマスクをしている訳では無い。
これは、ゴルフ場や居酒屋に行くとよくわかる。先日ゴルフに行ったが、プレー中も昼食時も、マスクをしている人間はゼロであった。また、居酒屋でも、マスクをして話をしている人は皆無で、みんないつも通り酔っ払って唾を撒き散らしながら大声でつまらない事を喋っておった。なぜマスクをしないかと言えば、「知り合い同士だから」「周りも皆していないから」という二つの理由に尽きる。「他人の目線」と「同調圧力」、これさえ無ければ、皆マスクなどしないのだ。
話を「感情の進化」に戻す。人間は、脳の発達によってもたらされた「知能」の進化によって高度な文明社会を築き、その生活環境は急速に複雑化した。そして、その複雑化した人間社会を維持するために作られた様々なルールやエチケットがあり、罰則が無くてもこれらを守るような「感情」、具体的には「気まずさ」という感情が進化して、社会秩序を保つための一防波堤として、人類一般に広く運用されているが、日本人は運用し過ぎであると言っておこう。
では、「気まずさレパートリー数」においては圧倒的No.1の日本人が、最も感情の進化した人種かと言えば、勿論そんな事は無い。「気まずさ」は数多ある感情の中の一つでしかなく、他にも人間社会に適応する形で進化を遂げた感情は、沢山あるのだろう。
何れにせよ、最初にあげた「人間の感情は進化したか?」という問いに対しては、「感情も知能同様に進化した」と、私なりに考えて答えを出したつもりである。
さて、ここからは蛇足であるが、人間の感情が進化したとするならば、なぜ我々はいわゆる「ネガティブな感情」というものを未だに持ち合わせているのだろうか?、という事について考えてみたい。考えてみたかったが、これは考えるまでも無く、「ネガティブな感情」が人間にとって有用であるから持っているだけの事だと、すぐに気付きました。でも、もう書きかけてしまったので、一応最後まで書いてみましょう。
例えば「嫉妬」。優秀な部下に嫉妬し、出世街道まっしぐらの同級生に嫉妬し、綺麗な嫁さんを貰った同僚に嫉妬し、妻が浮気しているのではと嫉妬し、グラビアアイドルと交際発覚のYouTuberに嫉妬し、楽しそうに公園で遊んでいる子供達に嫉妬し、遂には悩みも何もなさそうな犬にまで嫉妬する。こんな人間を、ネガティブと呼ばずに何と呼びましょう。このようなネガティブ人間は、周りに悪影響を与える害獣と認定し、即刻駆除すべきである、そもそも、嫉妬などという醜悪な感情そのものを、最先端の技術を駆使して人間の脳からキレイさっぱり抹消する事こそが、コロナ駆逐・温暖化抑制に優先して達成されるべき人類の最優先課題である、そのように考える人があるかもしれない。
しかし、嫉妬がなければ、まず男女関係の多くは成立しない。よしんば男女関係は成立しても、夫婦関係は成立しないだろう。稀に、多夫多妻を実践する人達もあるだろうし、それはそれで恙なくやっているのだろうが、それでもほとんどの人間・世界中の国が一夫一婦制を採用しているところを見ると、やはり社会秩序を保つ上でそれが必要なシステムであると考えるのが普通な気がする。もし全世界の国々が、明日から多夫多妻制を採用したとすれば、それは大きな混乱や社会秩序の崩壊を招くのではないかと、私は思う。そして、人間に嫉妬という感情が無ければ、人間は自然と多夫多妻になるだろう。一夫一婦制という、人間社会の秩序を維持するために重要だと思われるシステムの根幹となっているのが、まさにこの「嫉妬」というネガティブな感情である事は、嫉妬が人間に必要な感情である事を証明している。
さらに、嫉妬が有用なのは、何も一夫一婦制を保つためだけではない。嫉妬は、人間が行動を起こすための原動力として最も優れた感情の一つである。つまり、ある人が凄まじいエネルギーをもって行動する時に、その燃料となっているのが嫉妬である事は往々にしてある。例えば、学生時代に好きだった女子が、あるバンドマンと交際している事が発覚して、そのバンドマンに強烈な嫉妬心を抱いたとする。そして、その嫉妬心を原動力に自分も毎日ギターを練習して、バンドを組んで、絶対にあのバンドマンを見返してやるという一心で曲を書いて、バイトしてお金を溜めて、いつも赤字だけど無理してライブ開いて、その数年後、遂にメジャーデビューにこぎつける、、そんな事は、いくらでもありそうな事です。
「嫉妬」だけに限らず、一般的に「ネガティブ」だとカテゴライズされる感情の多くが、人間が発揮できる最も強力で根深いエネルギーの原動力になる事は、広く知られているところだろう。復讐心、後悔、怒り、etc...これら全て、人間を強烈な力で突き動かすハイオク燃料である。
上に「根深い」と書いたが、ネガティブな感情を燃料にして発揮される行動エネルギーは、ポジティブな感情を燃料とするそれよりも、文字通り「根深い」ものである。なぜなら、ネガティブな感情は、その性質上、心の奥底に押し込められ、自分でも普段は意識されない心の根幹部分に巣食う。我々は常日頃「ネガティブになるな、ポジティブになれ」という社会のルール・エチケットに従って、ポジティブな感情は無理矢理にでも前面にひけらかすが、ネガティブな感情は押し殺して心の中にしまっておくものだ。ポジティブは表へ、ネガティブは奥底へ。それが長年繰り返されるうちに、心の表層にはポジティブな感情、心の奥底にはネガティブな感情、という住み分けが定着する。当然、表層部分はちょっと強い風が吹けば剥がれ落ちたり、波が来れば流されてしまう事もあるが、核の部分は全くビクともしない。人間の行動エネルギーの源泉がポジティブにある場合と、ネガティブにある場合、そのどちらが強力であるかは自明のように思われるのだ。
(であるならば、逆に社会のルール・エチケットを「ポジティブになるな、ネガティブになれ」という風にあべこべにしてしまえば、心の表層にネガティブが、コア部分にはポジティブが定着するのでは、という仮説も、一考に値するかもしれない。)

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最初のケータイは、中一の時に買ってもらった。確か、紫色のJ-PHONEだったと思う。ホームボタン以外の数字/文字キーの上に折りたたみカバーがついていた。そして、中二の時、写メール機能付きのケータイに機種変更したが、友達のいない私には必要の無い機能だったと気づくのに、あまり時間はかからなかった。
それでも、ある時こんな事があった。どういういきさつだったかは思い出せないが、小学校3-4年の時に好きだった女の子のメアドが手に入り、その子とメル友になったのだ。私は中学受験をしたので、小学校の友達とはほぼ2年間、誰とも連絡を取った事はなかった。しかも、男子校の中で女性からセグリゲーションされていた私にとって、とっくに初潮を迎えたであろう同い年の女子とメール交換をする事は、もはやアメリカ人と文通をするようなものであった。
ボディ・ランゲイジ!ボディ・ランゲイジだ!中二病どころか、真性の中二だった私は、彼女が写メを使えることを確認すると、すぐにおっぱいの写メを送ってくれるよう要求した。すると、驚くべきことに、この米国人は社交辞令程度の躊躇もそこそこに、おっぱいの写真を送って寄越したのだ。顔は写っておらず、首から下の写真だった。私は、左右で大きさが若干異なるそのリアルなおっぱいにしばし見惚れた。そして、今度は下半身の写真を要求した。当然、パンツ無しの方を要求した。しかし、流石にそれは米国人からしてもトゥー・マッチだったようだ。それでも、パンツ有りの方だったら送ってくれると言うので、ありがたく送ってもらった。これは、スカートを履いた状態で体育座りをして、その股間部分をパシャり、と言う構図の、なかなか筋の良い写真であった。白パンツだった。そして、最後にやっと、普通の顔写真を送ってもらった。ここに、中二当時の私の優先順位が、胸→股→顔、であったことが伺える。以降、私はこの三枚の写真に、暫く世話になった。

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「宇都宮に赴任してた時は、毎日同期の友人とジムに通ってまして、その友人が最初にジムに来た時に、着替えを持ってくるのを忘れたんです。なので、その日はしょうがないから入会だけして帰るのかなあと思ってたらいや俺もせっかく来たからちょっと筋トレしてくって言うんです。で、更衣室に行って、しばらく経って出てきたと思ったら、上はタンクトップ、下はパンツ一丁、靴は土足っていう、もうセントラルジムに喧嘩売ってるでしょアナタ、みたいな格好で出てきて、しかも、『どう、面白い?』みたいな顔してる訳ですよ。でも、そのボクサーパンツが紫色で、スニーカーも紫だったので、確かにちょっとジムっぽく無くはないみたいな、80年代のエアロビクスとか、あるいはゲイの方のジムウェアみたいな、そんな風に見えなくもないんですよ。だから、ジムの人も注意出来なくて、結局パンツのまま普通に筋トレし始めたんですけど、で、よくよく見たらこいつのチンコが無駄にデカくて、一緒に筋トレしながら腹立ってくるんですよ。よくもまあそんなデカいチンコぶら下げながらパンツ一丁で筋トレしやがってこのヤロウ、みたいな。そいで一通りマシンの筋トレやってから、今度は腹筋のトレーニングするから手伝ってくれって言われて、何かと思ったら、あの5kgくらいあるメディシンボールを腹筋に叩きつける、ボクサーがよくやってるようなトレーニングあるじゃないですか、あれをやりたいって言うんです。そいつが仰向けに寝っ転がって、いわゆる腹筋の態勢になって、僕はメディシンボールを持って彼の脇に座って、そのボールを腹筋にボンボンバウンドさせるんですけど、そいつが「もっと!もっと強く!もっと頂戴!」って叫ぶんですよ。もうはたから見たら完全にホモのカップルが初めて来たジムでイキがってるようにしか見えないんですよ。いやーあの時は本当に参りました。でも、結局そいつとは会社で一番仲良しになって、宇都宮にいる間はそいつとずっとジムに一緒に通ってました。」

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