挙げ句の果て

いざ、恥じめやも。

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私はニューヨークにあるハンターカレッジという漫画のような名前の大学に2年間留学していました。一応、日本の大学からの編入という形で入学しているので、卒業するために必要な一般教養の授業の大半は日本で既に終了しているため履修しないで済んだのですが、それでも一応留学生という事で、英語の授業は履修せねばなりませんでした。(英語の授業と言っても、現地の学生が受ける授業なので、おそらく日本で言うところの「文学」のような授業だったと思います。)

ある日、この英語の授業でエッセイ課題が出されました。テーマは「自分が周りの人達と異なっている点」というものでした。凡庸の二文字がそのまま人間になったような私にとっては、聞いた瞬間に白旗を振りたくなるようなテーマでした。
散々考えた挙句、結局何も思い浮かばなかったので、私は半ばヤケクソ気味に「童貞である事」について書く事にしました。確か内容としては、中学・高校と6年間男子校に通っていたために女性と接する機会が全く無かった事、そのせいで大学に入っても女性と上手くコミュニケーションが取れずに、結果として22才の今も童貞であること、といった事を書いたと思います。(当然、男子校だった事なぞは体の良い言い訳以外の何物でもなく、単純に自分がヘタレだった為にセックスが出来なかったという事実を隠すために作り上げた虚構の論理でした。)
しかし、その講義を受けている他の生徒達の多くが自分よりも年下だった事を考えれば、私以外にも童貞・処女は少なからず居たはずなので、チェリーである事は特別でも何でも無かったのです。それでも、日本での大学4年間を童貞のまま駆け抜けてしてしまったという悔恨の念は、私の中の中二病的被害妄想を肥大化せしめ、いつしか「私だけが童貞である」という強烈なコンプレックスとなり、それがそのまま自分のアイデンティティと化してしまっていたのです。
兎に角、私は自分のチェリーを告白したエッセイを、ほとんど他人に等しいような大学教授に何の迷いもなく提出しました。

翌週の講義後、私は教授から呼び出され「来週の講義でみんなのエッセイを発表したいのだけれど、君は今の内容のままで本当に大丈夫かい?」と問われ、私はすぐに「書き直させて頂きます。」と内容を改める事を約束しました。

結局、自分が何を書いて再提出したのかは思い出せませんが、書き直そうとして最初に思いついたタイトルだけは覚えていて、それは、"Lack of Emotion"(感情の欠如)というものでした。
私は図書館でこの書き直し作業をしていたのですが、タイトルだけ書いて、さてどうしたものかとPC画面をぼんやり見つめていると、クラスメイトの韓国人の女の子がやって来ました。彼女は私のPC画面を見ると、すぐに課題のエッセイのタイトルだと察したようで、どういう意味なの?と尋ねて来ました。私は彼女に次のような返事をしました。

「実は、僕という人間は、どうも感情の絶対量が人よりも少ないようなのです。この前知り合いが日本からウチへ遊びに来た時、部屋の冷蔵庫に何も入っていないのと、その代わりに棚の中にはコーンフレークがビッシリ詰め込まれているのを見てビックリして、君はコーンフレーク以外何も食べないのかい?と聞いて来たから、ああそうだ、3食コーンフレークだ、全然飽きないよ、わははは、と答えてやったら呆れた顔をしていました。よく、今日は焼肉が食べたいとか、寒くなって来たからおでんが食べたいとか、土用の丑の日は絶対にうなぎを食べないと気が済まないとか、食事に関して色々と細かい願望を口にする人があるけれど、僕みたいな田舎者には、そんなイナセな欲求はほとんど無いんですよ。兎に角栄養が豊富で、太らない物を効率的に摂取して、食欲が満たせればそれで良し、それだけなんです。食欲だけじゃあありません。僕は、まあここだけの話、女性経験があまり豊富ではないんですが、その原因も、やっぱり性欲というのか精力というのか、そういうものが少ないから、あまり自分から積極的に女性を探し求める事をしないという事があるように思われるんです。レイプ犯だの、痴漢だの、盗撮犯だの、下着ドロボーだの、ああゆう連中の気持ちなんかサッパリわかりませんよ。そういう意味では、僕はとても安心・安全なジェントルマン、それも80歳くらいのベテランのジェントルマン風味だと言えるかもしれませんな。いや、性欲が全くない訳じゃあありませんよ。僕だって、そりゃあ女性が好きです。恋がどういう気持ちかも知っているし、過去に失恋も何度かやりました。でもね、たとえ好きな人が出来たとして、部屋の中でその子の事を思ってずっと悶々としていたとしても、一発マスターベーションすればその場はとりあえず穏便に収まります、僕の場合。でも、性犯罪を犯す奴らはマスターベーションだけでは抜き切れない程の性欲を溜め込んでいるって事でしょうから、変な話、そういうエネルギーが羨ましいくらいですよ。だからね、僕が人並みに持っているのは、睡眠欲ぐらいなもんです。これだけは、人よりも旺盛かも知れませんな。いや、待てよ。今話をしていて気づいたのですが、僕にはまた一方でこんな一面もあるのです。それは、どうでもいいようなB級C級映画を見て、自分でもビックリするくらいに泣くんですよ。たとえば、白血病の美少女が出て来た時点で、これはもう内容がゴキブリの下痢以下であっても、絶対に泣きます!これはね、おそらく僕が世間を知らない、苦労を知らないから、ああいう低俗な映画を見て泣くんでしょうなあ。もっと世の荒波に揉まれたまともな男であれば、くだらん映画なんかでメソメソ泣いたりしませんよ。まあ、話がそれましたが、兎に角、下衆の私にも、下衆なりの感情は備わっているということが言いたかった、これに今気づきました。となれば、私に欠けているのは感情ではありません。欠けているのは意志です!意志の力!感情は、これはピンからキリまで、俗悪なものから気高いものまであります。しかし、意志というものは、この感情というRaw Materialを鍛えて拵えた、感情の鋭い刃のようなものでしょう。高尚なものなんですよ、意志というやつは。下衆の私に、あるはずもございません。そうすると、このエッセイのタイトルは"Lack of Will"(意志の欠如)になりますかな。」

彼女は僕の話を一通り聞くと「そんな事ないよ。あなたは面白いし、もっとポジティブな事を書いた方がいいよ。」と、言ってくれました。私は彼女の言う通り、このタイトルを消して、今は思い出せない何か別の事を書きました。

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「君たちはどう生きるか」という本の中で、主人公のコペル君が仲間を裏切ってしまい、それまで知らなかった自分の卑怯な一面を眼前に突きつけられて、自分はもう生きる価値の無い最低の人間なんだといって熱を出して塞ぎ込んでしまうシーンがあります。このコペル君という男の子は、本書の最初のシーンで、身の回りの生活用品や街を行き交う人々といった身近な社会現象の全てが、今自分が学校で習っている学問と結びついているのだという事に気づきます。そして、世の中の事をもっと良く知るためにも、より一層学問に励もうという高い志を抱くようになって、そんな自分が少し誇らしいと感じ始めていた矢先に、その裏切りの事件が起こってしまいます。コペル君は「卑怯者」という言葉や概念は知っていましたが、まさか、自分がその「卑怯者」であるとは思ってもみませんでした。そして、卑怯者の自分が、いくら偉そうに学問だなんだと言ってみても卑怯者の負け惜しみでしかない、つまり、自分がこの先やる事なす事全て意味の無い事であり、自分には生きる価値が無いのだ、となってしまったわけです。

このように、自分の醜い一面をまざまざと見せつけられる事によって、自分の矜持が奪い去られたり、存在価値が根底から否定される様な、まさに「痛恨の極み」といった出来事というのは、誰しも一度くらいは経験しているのではないかと思います。私の場合、それは大学時代の後輩の結婚パーティの帰り道で起きました。

結婚パーティが終わり、私は大学の同期・後輩たちと共に、二次会の店を探しながら渋谷の街をウロウロと歩いていました。すると、中年のおじさんがすれ違いざまに私に肩をぶつけて来て、てめえどこ見て歩いていやがる、と因縁をつけて来ました。私は、向こうからぶつかって来た事には触れずに、すみません、と言ってすぐに立ち去ろうとしましたが、おじさんはちょっと待てと言って私のシャツをグイと掴んで私を逃がそうとしません。そして、「おいてめえ調子乗ってんじゃねえか、謝れ、おいそうじゃねえだろ、もっと真面目に謝れ、てめえナメてんのかコラ、謝れっつったら土下座だろう普通、おい、土下座しろこのヤロウ、おめえ俺が誰だと思っていやがる、組の奴ら呼んでくるぞ、土下座しろ!」と言って私を恫喝して来ました。私は、この時点でもうすっかり恐れをなしてしまい、おじさんに言われるがまま、土下座をしました。すると、その様子を見ていた友人数名がなんだなんだと集まって来て、そのおじさんに突っかかっていき、その中の1人が、「俺は見ていたけれど俺の友人は何も悪いことはしていない、言いがかりをつけて来たのはそっちだろう、そこに警察があるから、言いたいことがあるならちょっと警察まで一緒に行こうじゃないか」という風に、勇敢に、そして理路整然とまくし立てて、小競り合いをしながら抗議しました。すると、そのおじさんは警察に行くのはちょっと具合が悪いという感じで急に弱気になって、結局すごすごと立ち去って行きました。遠巻きに一連の流れを見ていた同期の女の子達や後輩達が寄ってきて、大丈夫ですか?と、私に憐れみの声をかけました。穴があったら入りたいとはこの時のことを言うのでしょう。私は惨めで、そして自分という人間がいかに意気地なしの臆病者かを自覚させられ、半ベソをかきながらみんなの後について行きました。

この日の出来事を、私は事あるごとにふと思い出し、その度に消え入りたい様な気持ちにさせられます。私という小心者に比べて、あの勇敢にチンピラへ立ち向かっていった友人のなんと男らしい事か。この前女の子にフラれたのだって、そりゃああんな器量の良い子が俺の様な意気地なしなんかと付き合ってくれるはずがないじゃないか。俺の顔には、臆病者ですというレッテルがベッタリとへばり付いているのに違いない。あいつはどう見たって腰抜けのフニャチン野郎だと、誰が見ても一目瞭然なんでしょう。ああいう子は、私を助けてくれたあの勇敢な男と付き合うのが当然だし、そうでなければいけない。ああ良かった!あの子が私の腑抜けを見破ってくれて、本当に良かった!私にしてみたって、自分の腑抜けのせいで相手の女性まで貶めてしまうなんて事は、絶対に避けたいと思っているのですから。

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幼稚園の時、僕の担任は進藤先生という20代半ばの女性の先生だった。年少の頃からずっと彼女が担任だったのかどうかは覚えていないが、とにかく年長の竹組の時は進藤先生が担任だった。とても優しくて良い先生だったのに違いないのだが、具体的な思い出は何も無い。ただ、卒業式の時に進藤先生が泣いていた事だけは覚えている。
僕は確か、卒業式が終わって母と一緒に幼稚園の門を出ようとしていた。そして、門の前で進藤先生に最後のお別れを言っていた時だったと思う。進藤先生は僕を抱きしめたような気もするし、ただ手を握っただけだったような気もするが、何れにしても目を赤くして泣いていた。僕は泣いていなかったが、初めて見る大人の涙に驚いていた。僕は、進藤先生が、僕だけのために泣いてくれているような気がした。
小学生になってから、進藤先生から結婚報告の手紙が来た。ウェディングドレスを着た進藤先生が、幸せそうな笑顔で旦那さんと一緒に写った写真が裏にプリントされていた。
あれから長い年月が経ち、進藤先生は50才半ばであろう。幸せに暮らしているといいなと、本当に思う。心のひねくれた僕が、もうほとんど他人みたいな女性に対してこう思うのも妙なものだ。いや、もしかすると、もうほとんど他人みたいになってしまっているからこそ、素直に幸せを願えるのかも知れない。
それから、年月が人に及ぼす老化という現象が、特にそれが女性に対して成される時、僕はたまらなく切ない気がする。そういう老化の残酷さに対して、僕は敵意を抱かざるを得ない。否、老化が不幸だと思い込んでいる僕自身が不幸なのだと、認めなければならないのかも知れない。そうだとしても、こんなもののために進藤先生の幸せが侵される事は許されざる事のような気がするのだ。

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