私は自分の髪質が好きではありません。
剛毛でゴワゴワして、かつ量が多いので、放っておくとすぐにボサボサになってしまいます。
今までたくさんの美容院を渡り歩き、ベリーショートからロングヘアーまで様々な髪型を試しましたが、結局はこの髪質が原因で、満足する仕上がりになった事は一度としてありません。
ですから、普通30代男性であれば自分の「基本の髪型」というのがとっくに確立されているのだと思いますが、私にはそれが無く、未だに美容院をコロコロ変えては短髪にしたり長髪にしたりといった具合に、髪型難民生活を続けているのです。
「いっそ坊主にしてしまおう」
私がそう思わないのは、過去に一度だけ坊主にした(というより、なってしまった)事があり、それもやはり似合っていなかったからです。
2011年。
私は当時ニューヨークの大学に留学していました。東京ですら自分の行きつけの美容院とお決まりの髪型を見つけられない私なので、当然異国の地でそれを見つけられるはずもなく、私はニューヨークに来てから1年半の間、一度も散髪せずに肩まで髪を伸ばしっ放しにしていました。
しかし、数ヶ月後に帰国・就活を控えていた私は、その時すでに各志望企業へエントリーシートを提出し始めなければならず、そのためにはこのボサボサの長髪をサッパリ短く切った状態で履歴書用写真を撮る必要がありました。
まず当然考えたのは、日本人がやっている美容院に行くことです。
実際、ネットで調べてみると、日本人がやっている(もしくは日本人美容師がいる)美容院がいくつか見つかりました。しかし、どれも値段が高く、しかも私には、美容院/自分の髪に対するある種の諦めの様な考えがあったので、日本人に散髪してもらう事はすぐに断念しました。
「どうせ高い金を払っても、変わりっこない」
「だったら、一番近くの安い床屋でも変わりない」
その様な安易な考えに基づき、家の近くのバーバーへ行く事にしました。
予約も何も無しに駅前のバーバーに入店すると意外と混んでおり、ドア脇の待合席にも何名か順番待ちをしている人がいました。私もその隣に腰掛け、店内を見渡しました。
すると、当然ではあるものの、アジア人は自分だけである事に気づくと同時に、周りの人も何かこちらをチラチラと見ている様な感じがしてきました。
程なくして、一人の理容師が私を呼びに来ました。
スキンヘッドにちょび髭がよく似合う彼は、おそらく身長が130cm程度であり、そのロンパっている目で私を見つめながら、
「ディノだ。よろしく。キミ日本人だろ?」
と言って私の手を力強く握りました。
ニューヨーク広しと言えど、私は間違いなく、ニューヨークで一番の名物理容師を引き当てた事を確信しました。
ディノ「今日はどんな感じにするんだい?」
恥骨「ええと、サイドと襟足は短めで、全体的にボリュームを軽めにお願いします。」
ディノ「ノープロブレム!」
ディノは腰から勢いよくバリカンを取り出すと、そのままなんの躊躇もなく私の後頭部を剃り上げ始めました。
「違うんです!そうじゃないんです!」
普通なら、そういう反応をするかもしれません。
しかし、ディノの手際の良さ・迷いの無さを前に、私はただただマグロ状態でジッと彼の仕事を見つめる事しか出来ませんでした。
途中、私は店内の壁に掛けてあるヘアスタイルのサンプル表に気が付きました。
このサンプル表を見れば、ディノが完璧に自分の仕事を遂行している事に疑いの余地は無く、私も、彼の仕事に文句をつける程は愚かではありませんでした。
あっという間にバリカンで私の髪の毛の8割を剃り落としたディノは、いよいよハサミを取り出し、私の頭頂部付近に残っている髪の毛を切り始めました。
バリカン同様、大胆に、手際よく。
バッサバッサと私の髪の毛を切り倒して行く130cmのディノには、まず間違いなく私の頭頂部は見えてすらいなかったでしょう。しかし、見える必要など、彼には無いのです。
「小さな大理容師」
「理容師界のマスター・ヨーダ」
そんな言葉を思い浮かべずにはいられないレジェンド・ディノは、15分前にはふかわりょうそのものであった私のヘアスタイルを、ものの見事に凛々しいネイビーシールズのそれへと変身させたのでした。
ディノは合わせ鏡を私の後頭部付近に持ってきて、後ろの仕上がりを見せてくれました。
まさに惚れ惚れする、パーフェクトな角刈り。
「これは有利です。」
ラモス瑠偉にそう言わしめたのはバンテリンでした。
そしてこの美しい角刈りもまた、就活戦線を控えた一人の青年の心に激しく訴えかけ、
「これは有利です。」
と、確かにそう思わせたのでした。
私は、日本から遠く離れたこのニューヨークの地で、初めて本当の自分を見つけさせてくれたディノに心から礼を言い、バーバーを後にしました。
「今俺は、間違いなくこの街で一番クールな髪型をしている。」
「俺が採用チームだったら、確実に一巡目で指名する。」
「これは有利です。」
家に帰ってすぐ、私は明日の写真撮影時に着用するスーツを着て、鏡の前に立ちました。
すると、部屋からルームメイト(日本人)が出て来ました。
彼は私を見るなり「ダサい」「海南の高砂だ」といった様な言葉を連呼し、笑い倒しました。
しかし、私は常々彼とは美的感覚が違うなと思っていたので、彼のその反応を見ても特に動じることもなく受け流していました。
すると、私があくまで真剣にこの髪型で写真を撮ろうとしている事を察した彼は、今までの茶化したトーンから一転し、
「就活を終えた先輩として言わせてもらうと、その髪型は本当にヤバい。」
「まだ坊主の方が全然マシだ。」
「俺が今から坊主にしてやる。」
といったような事を、本気で友達を心配する口調で私に言い聞かせて来ました。
私は、この髪型がいかに有利であるかを、彼に本気で説明しましたが、彼の友人を思う気持ちも同じように本気でした。そしてその友情に免じて、私は坊主になる事を承諾しました。
彼は私を浴槽内に立たせ、嬉しそうにバリカンで私の頭頂部付近に残った髪の毛を剃り上げました。そして、ものの数分のうちに、私は人生初の坊主頭になっていました。
鏡に映った私の坊主姿からは、ついさっきまで確かに私が持っていたはずのアドバンテージは完全に失われていました。
「これは不利です。」
こうして、私の就職活動はマイナスからのスタートになりました。