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先日、33才の誕生日を迎えました。

「ゾロ目→縁起が良い」というポジティブシンキングを盲信してみようと、いわゆる抱負を立ててみる事にしました。が、「負荷を抱く」と書いて「抱負」ですから、あまり抱き心地の良いものではありません。それに、抱負を達成した事なんて今までに一度もございませんので、そんなもの今更立てたところで正に「机上の空論」「絵に描いた餅」「取らぬ狸の皮算用」etc...といった感じで白々しい気持ちがしてしまいます。

しかし!今まで抱負を達成出来なかったのは僕の「抱負の立て方」に問題があった訳で、つまり「達成が難しい事」を抱負にしてしまっていたのがそもそもの敗因だった事に、ようやく気付いたのであります。

もちろん、世の中には敢えて達成の難しい抱負を掲げる「欲しがり」と呼ばれる人達も多数いる事は知っていますが、僕は欲しがりでもマゾヒストでもありませんので、ここはひとつ、出来るだけ負荷の少ない抱負にして頂きたい!

という事で、今年こそは抱負のある生活をエンジョイするべく、思い切って3つ抱負を立ててみました。そしてその3つはそれぞれ、僕の考える「抱負のあるべき姿に関する指針」に則って作成されたものです。

【抱負のあるべき姿に関する3つの指針】
①絶対に達成出来そうな抱負を一つ挙げる。
②具体的な数字や頻度は掲げず(「30回」「毎日」とかはNG)、「曖昧な」表現を使った抱負を一つ挙げる。
③絶対に達成出来ない抱負を一つ挙げる。

実際に上記の3指針に沿って僕が立てた抱負を紹介していきます。

まず一つ目。
「絶対に達成出来そうな抱負」は、ズバリ「禁煙」です。

「いや禁煙は難しいだろ!」「結局欲しがりかよ!」なんて言って怒られそうですが、そうではなくて、僕はここ2年くらいタバコは自分で買っておらず、お酒を飲むときに貰いタバコをする程度の「ソーシャルスモーカー」状態をズルズルと続けていたのです。なので、普通の喫煙者から比べたら、そもそも禁煙のハードルがだいぶ低い状態にあったわけです。

そして、実はとあるきっかけでその貰いタバコすらも辞める「完全禁煙者」状態を、もうかれこれ4ヶ月くらい続けており、あと1年間タバコを吸わない程度の事は、既に僕にとってはお茶の子さいさい、赤子の手をひねるように達成出来てしまうのです。

まずは禁煙を達成する事によって一つ成功体験が出来ますから、自信がついて、来年以降も「抱負を立てよう」と思うようなるだろうと、私は目論んでいるのです。

二つ目。
「曖昧な表現を使った抱負」は、『アニメをたくさん見る事』です。

アニメを「毎週」見るではダメですし、アニメを「50本」見るでもダメです。
なぜなら、具体的な表現を使った瞬間に、その抱負を達成出来ない可能性を生み出してしまうからです。「たくさん」という曖昧な表現を使う事で、仮に今年5本しかアニメを見なかったとしても「カルロス・ゴーンさんよりはたくさん見てるだろう」とか適当な理由を何とでもつけて達成した事にしてしまえば良いのです。

つまり、一つ目の抱負の達成確率が90%だとすれば、二つ目の抱負の達成確率は100%でなくてはならず、即ち「抱負の滑り止め」的な役割を果たすのがこの二つ目の抱負だと言えます。

三つ目。
「絶対に達成出来ない抱負」は「ノーベル文学賞を取る事」です。

真面目な抱負/現実的な抱負ばかり立てていると、頭のカタイ人間だと思われてしまいます。抱負なんていうのはそもそも、人とコミュニケーションをとる時のネタの一つに過ぎませんから。人から抱負の話題を振られた時に、小粋なジョークとして返せるくらいスケールの大きな抱負を準備しておくのが賢明でしょう。