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世の中には、大きく分けて2種類の人間がいます。「ウンコを漏らす」人間と「ウンコを漏らさない」人間です。

 

私は言うまでもなく「前者」にカテゴライズされるわけですが、「ウンコを漏らす」という事の定義をまずははっきりとしておきたいと思います。

「ウンコが漏れる」という事象は、大便が肛門から外に押し出され、その大便が身に付けている衣服に付着する事を意味します。
ほんの少しでも付着した時点でそれはもう「アウト」という事です。

逆に言えば、衣服への付着を回避出来れば「セーフ」という事になります。つまり、「野糞」は「セーフ」であり「漏らしていない」という事です。

私が今からする話は、文句無しに「セーフ」となった時の話となります。

 

2007年の冬。当時大学生だった私は高校時代の友人達と池袋で合コンをしていました。

相手の女の子達もなかなか可愛いかったので、2次会3次会4次会と絶好調で飲んでいましたが、最後に入ったカラオケで、私が一番気に入っていた女の子が友人の1人に明らかにモーションをかけ始めたのです。

1年の半分以上はふてくされている私としては、そのまま楽しさを装ってカラオケを続けられるはずもなく、千円札数枚をテーブルに残して1人カラオケをあとにしました。

 

すでに始発が動いている時間ではありましたが、センチメンタルな気分の私は家まで冬空の下を歩いて帰る事にしました。

実家までは明治通りを3〜40分まっすぐ歩くだけなので、本来ならば迷いようがないはずですが、かなり泥酔していた私は、気づくと巣鴨の住宅街をさまよっていました。

 

そして、我に返った私はある事に気が付きました。

まず、「尋常じゃないくらいウンコがしたい」という事。

そして、「到底家まで持ちこたえられる類の便意ではない」という事。

 

私の頭に最初によぎった考えは、「大通りに出ればなんとかなるはず」というものでした。

私は肛門をギュッと引き締め、「できる!」と心の中で叫ぶと、勘だけを頼りに大通りを求めて歩き始めました。

と同時に、新たな事実にそこで初めて気づきました。私の手にはコンビニ袋が握られており、中にはお茶と、肉まんの底に付いている紙がまるめられて入っていました。

 

今これほどまでに渇望している「コンビニ」に私はすでに行っていただけでなく、肉まんを1つ「完食」していたのです。

今の猛烈な便意を考えれば、コンビニに行った時点でもすでにかなりの便意があったはずであるのに、トイレへ行かないばかりか更にものを食べてお腹に追い打ちをかけるという蛮行に及んだ自分を心の底から軽蔑しました。

私は再び肛門に力を込め、コンビニを求めて歩き出しました。

 

しかし、いくら歩いてもコンビニどころか車や人の気配すらなく、薄暗い住宅街の奥へとどんどん飲み込まれて行きました。

この状況下で、「コンビニを見つけてウンコをする」などという考えは砂漠で蜃気楼を信じて歩いていくようなもので、一刻も早く捨て去るべき危険な考えであると直感しました。

私は自分の考えが甘かった事を素直に認め、潔く野糞をする事を決心しました。

 

ところが、これまで野糞をした事がなかった私は、どういう場所が野糞に適しているのかがわかりません。

ましてや巣鴨の閑静な住宅街の中に、そもそもそのような「野糞スポット」が存在するのかかなり疑わしいところです。

肛門はすでに限界を迎えようとしていました。私はヒクソンの「火の呼吸」で燃えたぎる腸と折れそうな心をなだめながら、あるのかもわからない「野糞スポット」を血眼で探しました。

 

すると突然、ある場所が私の目に飛び込んできました。

それは、なんの変哲も無い2階建てアパートの2階へ登る階段の下にある「あのスペース」でした。

 

「ココだ!!」

私は心の中で絶叫し、「あのスペース」めがけて突進しました。極限状態のプレッシャーから心が解放されると同時に、肛門までもがつられて決壊しそうになりましたが、私はすでに「その現象」とそれに対する「対処法」も心得ていました。

「その現象」というのは、トイレが近づいてくると加速度的に便意までもが倍増されるあの現象の事です。

私の場合、この現象に対する一番の対処法は、「トイレ」や「便意」といったものを徹底的に「無視」する事につきます。

この時も、私はウンコがしたいからアパートの階段下へ近づいているという事実を完全に無視しながら、「建物探訪」の渡辺篤史よろしく、「ああ〜、素敵なお宅だな〜」と心の中で唱えながら、歩く速度を落としてゆっくりと「あのスペース」へ潜り込みました。

 

「お邪魔します。ああ、天然木を使った、いい階段ですね〜」

私はズボンとパンツを降ろしてしゃがみ込み、ウンコが飛び出すその瞬間まで、渡辺篤史になりきる手を緩めませんでした。

一晩中飲んでいたためにお腹を下して下痢状になったそのウンコ自体は、決して気持ちの良いものではありませんが、ここに到達するまでの自分の判断や作戦を心から誇らしく思いました。

 

「勝利!圧倒的勝利!」

 

私は達成感と多幸感に包まれていましたが、もう一つ、私を包み込んでいたものは、ウンコと共に排泄される尋常では無い量の小便から立ち上がる湯気でした。

真冬の早朝に外でするホカホカの小便が生み出すその湯気は、私の想像をはるかに超える存在感を示し、ウンコを圧倒していました。

 

うっすらと明るくなり始めた空に幻想的に立ち上がる湯気が消えかかったその時、私は目の前の光景に頭が真っ白になりました。

同い年くらいのカップルが、こちらを見ながら歩いて来たのです。

それまで人っ子一人居ない住宅街であったにも関わらず、よりによってカップルが、私を非難する目つきでこちらへ歩いて来るのです。

これまで経験した事のないシチュエーションに突然立たされたその時の私の感情は、今でも思い出せませんが、私はカップルの方を虚ろな目で見返し、薄ら笑いを浮かべました。

 

朝焼けの 浮かぶ霞の その奥に

 

男一匹 巣鴨心中